次代を担う子ども達のために
子ども達に今一番必要なのは、『親になるための教育』だと思います。すなわち、「将来きちんと子どもを育てられる親」にしてあげることこそ、 教育の根幹とすべきです。
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  高校時代、私は司馬遼太郎の作品に没頭しました。坂本龍馬、西郷隆盛、
松平容保、河井継之助など、「誇りと志を旨とし、美しく精一杯生きる」 男の姿は、
今でも生き方の目標です。


  大学時代は、藤沢周平の作品が好きになりました。彼が描く主人公は、
理不尽な強者に対しても決して徒党を組まず、刺し違える覚悟で自らの義を
貫き通します。それでいて彼の作品には、弱者をいとおしむ心が満ち溢れています。
「群れない、ぶれない、あきらめない、そして心やさしい」 男を、藤沢は
こよなく愛したのだと思います。


  最近は、残念なことに長編小説を読む時間がありません。それでも
東京へ出張する折、山形駅の売店で必ず購入するのが
池波正太郎・原作の漫画 「鬼平犯科帳」 です。新幹線の車中、
「義に厚く、理を重んじ、情にもろい」 鬼平こと長谷川平蔵の言動に
思わず涙ぐんでは、常日頃の自分を振り返って反省したり、励まされたりします。


  つい最近、「一平二太郎、男の嗜み」 という名言を知りました。
「一平」 とは藤沢周平、「二太郎」 とは司馬遼太郎と池波正太郎のことで、
それは文芸評論家の川本三郎氏の言葉です。すなわち、
「一平二太郎」の作品を愛読することは、やさしく美しい心、そして強い心を
養うために必要な 「大人の日本人男子の嗜み」 であるという意味なのです。


  私の場合は人生六十年近くで、やっと 「男の嗜み」 が完結しそうです。
もっと早くに成就していれば、もう少しまともな男になれたかも知れません。
しかも、最後の完結が漫画であることは恥ずかしい限りです。


  本屋に行くと、ハウツー本やマニュアル本がいっぱい並んでいます。
就職、結婚、子育て、果ては部下の指導法や友人の作り方、デートの
成功術まであります。

  
  こうした小手先の指南書が横行する日本は今、生き方の軸が揺れ、
刹那的で貧相な生き方をしている人が増えているような気がして
なりません。悲しいことに、企業経営者や役人、政治家にもいます。


  だからこそ若者には、学生時代に 「一平二太郎」 の作品をはじめ、
崇高な人生を精一杯生きた人物に数多く触れて欲しいと思います。
そして、「私も、こんな人になりたい。こういう生き方をしたい」 という
大きな志を持って、地域や社会で活躍してくれることを心から期待します。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.8.25)したものです。但し、一部改変してあります。)



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テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  「人は一人で生まれ、一人で死んでいく」 という言葉を
よく耳にします。しかし、生まれてくるのは両親のおかげであり、
死ぬ時には親族の世話になることも確かです。


  そもそも人は、一人では生きていけません。言うまでもなく
乳幼児期の成長は、親をはじめ周囲の人のおかげです。
もちろん成人すれば、自ら田畑を耕し、海や里山の実りに頼り、
自給自足で生きていけるかも知れません。


  しかし、農耕具や食器、衣類、電気まで自分の力だけで
賄うのは無理でしょう。病気や怪我をすれば、医者の助けも
借りるはずです。まして誰とも会わず、話さずに生きていくのは、
とても大きな苦痛だと思います。


  四年ほど前、秋葉原で起きた無差別殺傷事件を
覚えている人は多いでしょう。容疑者の青年が述べた言葉は、
「自分は社会で一人だった、ネットの上でも一人だった」―。
つまり、耐えがたい孤独感を事件の動機に挙げたというのです。


  確かに現代は、個人主義が横行し、人間同士のつながりが
希薄な世の中と言えるでしょう。特に都会では、その傾向が
強いような気がします。


  中学時代の恩師は、この 「個人主義」 という言葉が大嫌いで、
「つながり、絆、仲間主義」 が口癖でした。実際、文化祭の劇や合唱、
運動会や修学旅行などのクラステーマは、常にその恩師の口癖でした。


  恩師は、生徒同士の喧嘩も叱りません。
「つながるためには、喧嘩も必要」 と言うのです。
もちろん、暴力は止めました。しかし、喧嘩の理由は尋ねません。
仲直りしろとも言いません。むしろ、
  「私の前で、喧嘩を続けろ。言葉や気持を本気でぶつけ合え」
と言います。続けないと、「意気地無し! 私がいると、できない喧嘩か?」
と怒るのです。


  実は私自身、意地と面子をかけて三日連続、放課後の職員室で
喧嘩ショーを続けたことがあります。しかし、さすがに三日目には
互いの 「言い分」 や 「非」 も分かり合い、仲直りしたくなるものです。
したがって、生徒同士の喧嘩ショーは、いつだって
「絆が深まって、よかったね」 と言う恩師の笑顔で決着します。
実際、喧嘩のあとは、互いに強い仲間意識が芽生えるのです。


  「仲間は分かってくれる、励ましてくれる、助けてくれる、
   必要としてくれる。仲間がいればこそ、人生は楽しい」
というのが、恩師の唱えた 「仲間主義」 でした。


  恩師のおかげで、私は今でも仲間主義者です。



(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.7.21)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  大学生が集まる都会では、就職支援のセミナーが盛んです。
「就活マニュアル」 が数多く出版され、マスコミも 「就活特集」 を
組むなど、そうした風潮を煽っているかのようです。


  実際、面接の心構えや礼儀、自己PRの方法、適性診断への対応、
プレゼンテーションスキルやビジネスマナーの修得など、最近の就職難の
世相もあって、こうしたセミナーに若者が殺到しているそうです。


  確かに二十歳前後の若者に、そんな力が身についているとは
思えません。そういう意味では、「にわか仕込み」 のセミナーも、決して
無駄ではないのでしょう。


  しかし、若者に知っておいて欲しいのは、そんな
「にわか仕込みの力」 を採用の決め手にしている企業など、ほとんど
ないということです。むしろ企業が求めているのは、向上心や責任感、
協調性やコミュニケーション能力など、いわゆる 「社会人基礎力」 でしょう。

 
  しかも、人生経験が豊富な経営者には、「にわか仕込みの力」 など
通用しません。若者の人柄や実力、可能性くらい、面と向かって3分も
話せば容易に判断できるのです。


  私が中学3年の時、履歴書を書くという授業がありました。
社会との接点を自覚させるための授業だったのでしょうが、
私はその時の恩師の言葉を今でも覚えています。


  「社会に出る若者に最も必要なものは何でしょう? 
   それは、『かわいがってもらう力』 です」―。


  だからこそ、挨拶、言葉づかい、笑顔、素直さ、やさしさ、感謝の心、
向上心、責任感、我慢強さなどが大切で、それらを身につける所が
家庭と学校だと恩師は言うのです。


  確かに職場では、先輩から仕事を教わり、失敗をかばってもらい、
時には叱られたり、励まされたりしながら、若者は一人前の職業人に
成長してゆきます。それだけに 『かわいがってもらう力』 がないと、
一人前になれないどころか、離職したくなるかも知れません。


  早期離職する若者は、「仕事が合わない」 というミスマッチを口にします。
しかし、職場の皆からかわいがってもらえれば、離職を思いとどまるのでは
ないでしょうか? 愛され、ほめられ、必要とされれば、そこで人は
生きてゆけるからです。


  この春、多くの若者が社会に旅立ちました。企業が求める力も、
若者に必要な力も同じです。『かわいがってもらう力』 を大いに発揮して、
立派な職業人、社会人になってくれることを心から期待します。




(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.6.9)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  学校現場で大きな事故や事件が起きるたびに、
「安全なはずの学校で―」 という言葉で、マスコミは
学校の管理体制を非難します。しかし、いつから学校は
安全な場所になったのでしょう? 


  最近、戸外で走る子どもの姿を見かけません。
でも彼らは、校庭では走っているのです。鉄棒や跳び箱も
しています。体育館のステージから飛び降りたり、
ボールを目にぶつけたり、プロレスごっこでふざけ合ったりなど、
怪我をして私の診療所に来る子どももいます。もちろん、
階段やベランダから落ちれば大怪我をするはずです。


  中学校では理科の実験で、目に飛入すれば
失明するような危険な薬品も扱います。


  不審者の侵入にしても、防げる学校などありません。
その気になれば、誰でも簡単に校内へ出入りできます。
刑務所のように高い塀で囲まれ、厳重に警備されている学校など
ないからです。


  さすまたの訓練をしたところで、さすまたを持って校内を
歩いている教師はいません。しかも、常に教師が児童生徒の
そばにいるわけではありません。子ども同士で喧嘩もあれば、
いじめだって年間7万5千件を超えているのです。


  そもそも学校は、状況に応じた判断の未熟な子ども達が
集団生活をしています。それだけに、火災や地震が起きれば
大惨事につながる危険性も高いはずです。状況によっては、
通常のマニュアルから外れた対応を瞬時に決断し、実行するだけの
覚悟も教師に求められます。


  私の小学校時代、見知らぬ中年男性が授業中、すごい勢いで
教室に駆け込んで来た事件がありました。私は、その時の
恩師の姿が忘れられません。40歳代の女性教師でしたが、
彼女は男性の前に走り寄り、両腕を横に広げて、こう叫んだのです。

 
  「授業中です。出て行きなさい!」


  実は、その男性は同級生の父親で、祖母が危篤のために
迎えに来たのです。事情が分かった先生は、その場に座り込んで
しまいました。私たちは先生のそばに駆け寄り、
「先生、大丈夫?」 と口々に言いながら、涙ぐみました。もちろん
それは、危険も顧みず、身を挺して自分たちを守ろうとした
先生への尊敬と感謝の涙です。


  学校は、決して安全ではありません。だからこそ、事故や事件を
想定したマニュアルの整備や訓練をしているのです。
しかし、何よりも大切なのは、子どもの命だけは絶対に守るという
教師一人一人の覚悟でしょう。


  不思議なことに子ども達は、教師のそういう覚悟を見抜く力を
持っているような気がします。



(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.4.28)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  私が子どもだった頃、「家つき、カーつき、ババア抜き」 という言葉を
よく耳にしました。やがて、それは 「3高(高学歴・高収入・高身長)」 に変化し、
最近では 「3低(低姿勢・低依存・低リスク)」 とか
「3K(価値観、金銭感覚、雇用形態)」 に変わりました。


  言うまでもなく、これらは女性が結婚相手に期待する条件です。


  「3C」 というのもあります。Cで始まる以下の3つの英単語から成るもので、
Comfortable(快適な) が充分な給料。Communicative(理解し合える) は、
価値観やライフスタイルが一緒。Cooperative(協調的な) は、
家事をすすんでやってくれるという意味だそうです。


  いずれにしても、女性は計算高いと揶揄しているかのような表現であり、
不愉快に思う人は私だけではないでしょう。


  実は、これらの言葉を耳にするたびに、私は中学時代の授業を思い出すのです。


  「学歴があって高収入、容姿も良くてスポーツ万能―、そんな人には誰もが
   憧れますね。では、結婚相手としても最高だと思いますか?」


  多くの生徒がうなずく中、先生は次のように続けました。


  「では、その相手が不誠実な人でも結婚するのですか? 無責任な人だったら
   どうしますか? 信頼できない人でも構いませんか? 正義感のない、ずるくて
   不正を働く人でもよいのですか? やさしくない人はどうですか? 勇気がなくて、
   何かあると逃げてしまう人でも結婚したいと思いますか?」


  生徒全員が首を横に振るのを確かめた先生は、嬉しそうに
「結婚の最低条件は4S2Y(誠実・責任・信頼・正義・やさしさ・勇気) です。
 どれ一つ欠けたって、結婚は不可能ですよ」 と言うのです。


  その上で、「大人になるまでに最も大切なのは、嬉しかったことや
悲しかったこと、悔しかったことや辛かったこと、感謝したことや感謝されたこと
などを通じて、4S2Yに満ちた人になることです」 と教えてくれました。


  最近、アサーションなどのコミュニケーション・スキルを学ぶ書物やセミナーが
もてはやされています。しかし、そんな小手先の交際術を大人になってから懸命に
学ぶくらいなら、子どもの頃から4S2Yを身につければよいのです。なぜなら、
それは人から好かれる力です。交際術など学ばなくても、周囲の誰もが
大切にしてくれるからです。


  しかも4S2Yに満ちた人は、皆から好かれるばかりか、仕事も家庭も大事にして、
社会的にも立派な人物になるはずです。今にして思えば、恩師が語った
結婚の最低条件は、人生の成功条件であり、幸福条件でもあったのです。




(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.3.17)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  東日本大震災では、死者・行方不明者は2万人近くに達しました。
まさに戦後最大の自然災害でした。ご遺族の皆様には、心より
お悔やみ申し上げます。


  実は今回の大震災では、乳幼児の犠牲が少なかったと聞いています。
岩手、宮城、福島3県のまとめでは、被災した保育所が700を超え、
そのうち約1割は津波などで全半壊したそうです。ところが、保育中の
乳幼児が亡くなったのは3人だけでした。


  地震があった時、多くの保育所では昼寝の最中だったはずです。
保育士らは子どもを起こし、抱っこにおんぶ、手を引き、大声を出しながら
避難誘導したのでしょう。ある保育所では、10人近くの乳児を
のせた乳母車を引っ張り、15人もの幼児を押し込んだ自動車を走らせ、
避難場所に向かったそうです。


  決して職員の数が多くはない中、自力避難できない乳幼児を絶対に
守るという保育士らの 「覚悟」 に、私は心から敬意を表します。


  一方、被災地の学校現場も大きく変わりました。親や友人を亡くした
生徒が少なくないだけに、大切なことは 「物や金」 ではなく、「家族や仲間」 で
あることを子どもたちの誰もが肌で感じているそうです。さらに、
「親の役に立ちたい」、「卒業したら自分の町を守るんだ」、
「偉い人にはなれなくても立派な人になる」―。そういう 「覚悟」 を感じさせる
生徒が増えたと聞きました。


  教師も変わったそうです。これ以上、子どもの心が傷つかないよう、
絶対に守り支えてみせるという 「覚悟」 を持って職務に励んでいます。


  そして、私たちは、こうした被災者の思いを主にテレビを通じて共有し、
支援し、自らの生き方までも律してきた1年だったように思います。


  ところが今、被災地の復興状況や被災者の様子を、テレビはあまり
伝えなくなりました。NHKが放映している毎日の 「昼の震災ニュース」 を見逃すと、
大震災などなかったかのような錯覚に陥ります。少なくとも民放各局の番組は、
震災前と変わらないバラエティーやドラマばかりです。


  しかし、今回の大震災から得るべき日本人としての教訓は、まだまだ
沢山あります。なにより、被災地の復興は十分ではありません。だからこそ
日本を代表する大企業には、それらを伝え、応援する ”良質な番組” の
スポンサーになって欲しいと心から望みます。


  私は、日本の行く末に大きな影響力を持つ大企業の経営者にこそ、
被災者に負けないくらいの 「覚悟」 を見せて欲しいのです。




(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.2.18)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  式典や会合に参加すると、進行や段取りの不手際、司会者の
滑舌の悪さなどに閉口することがあります。事前の準備や練習が
不十分で、ぶっつけ本番でやっているのではと疑いたくなることさえあります。


  スピーチにしても、「自分が言いたいこと、参加者が聞きたいこと、
その場に相応しいこと」 のバランスを考えず、一人よがりの内容を
延々と語る人がいます。しかも、こうした不愉快な体験は、最近
増えてきたように思うのです。


  逆に、「見事だ」 と感心するような式典や会合、スピーチは、例外なく
当事者が立派な人格の持ち主で、誰からも尊敬されている人です。


  我々日本人は、こうした素晴らしい手本に出逢う度に、自分も
「そうなりたい」 と願い、奮励努力して成長してきたのではないでしょうか?
そういう意味では、私自身、子どもの頃から手本としてきた人物に数多く
出逢えたことを本当に感謝しています。


  中学時代、私が大好きだった先生は、物静かで温厚な人でした。
先生は、植物や星の名前ばかりか、それらにまつわる逸話にも精通していて、
さも得意げに話しながら、私たちの興味や知識欲を高めてくれました。
文学や歴史にも造詣が深く、詩や短歌を暗唱しては、私たちに日本語の
美しさと深さを教えてくれました。さらに、諸葛亮孔明、松平容保、
西郷隆盛など、義を貫き通した悲運の名将を語っては、もらい泣きする
私たちを見て、嬉しそうに目を細める先生でした。


  そして、頑張る生徒には立派だと言って涙ぐみ、弱者をいたわる
生徒には自慢の教え子だと言って涙ぐみ、ずるく振舞う生徒には
悲しいと言って涙ぐむ先生でした。


  そんな先生の口癖の一つが、「私は今日の君たちのためにではなく、
10年後、20年後の君たちのために教師をやっています」 という言葉です。
それが嘘ではないこと、そういう覚悟で自分達に接してくれていることを、
クラスの全員が肌で感じて知っていました。だからこそ誰もが先生に憧れ、
先生を手本とし、「こういう大人になりたい」 と思ったのです。おかげで、
恩師ほどではないにしても、私たち生徒は皆、立派な大人になりました。


  少人数学級 「さんさんプラン」 が山形県で導入される際、
「先生が大好き、先生を尊敬している」 と言う子どもが増えるようにと、
私は県教育委員会に要望しました。それこそが教育の根幹であり、
その根幹さえしっかりしていれば、「子どもは、学力も向上する。いじめや
不登校もしなくなる。そして将来、立派な大人になる」 と思うからです。


  子どもにとって、教師は最も大切な手本です。




(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2012.1.7)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  父が亡くなって7年になります。息子の私から見ても、
父の人生は真面目に生きた83年間でした。


  死ぬ半年前に、前立腺癌が見つかりました。幸い転移もなく、
比較的早期の癌だったので、主治医からは手術治療を勧められたそうです。
しかし、父は手術を断りました。放射線治療や化学療法も拒んだのです。


  私からも 「転移が進めば、痛みがひどくなるよ」 と言ったのですが、
「そうなったら、モルヒネを使って緩和医療を頼む。末期になっても、
 人工呼吸器などは不要だ。お前も医師なのだから、せめて
 良いホスピスを探しといてくれ」 と、笑って答えるのみでした。


  100人いれば、100の死生観があります。その良し悪しを、他人が
どうこう言うことはできません。まして死が間近に迫っているのなら、
なるべく尊重してあげたいと思うのが家族でしょう。


  「戦地で多くの仲間の死を看取り、戦後は家族のために
   死に物狂いで働いてきた。今では、息子や娘は社会で
   それなりに活躍している。孫の成長も楽しめた。もう十分だ。
   人の死に際を孫に見せてやることが、私の最後の仕事だ」
というのが、父の考えでした。 


  数年前、「国民の半分が癌で死ぬ国」 と大書されたポスターを
目にしました。それは、平成18年に 「がん対策基本法」 が
制定されたことを受けて、癌の予防・治療・研究を強力に
推進していくための啓発ポスターです。もちろん、その趣旨に
反対するつもりはありません。しかし私は、
「日本は、ここまで不遜な国になったのか」 と悲しくなりました。


  世界には、多くの乳幼児が飢えと貧困のために、日本なら
絶対に助かるような栄養失調や感染症で死んでいく国が
少なくありません。さらに、エイズのために多くの青少年が
死んでいく国や、平均寿命が30歳代という国だってあるのです。
だとしたら、「国民の半分が癌で死ぬ」 日本は、それだけ皆が
長生きしている国であり、むしろ幸福な国と言うべきではないでしょうか。


  「生ある者は、いつかは死ぬ。人も動物も死亡率は百パーセントだ。
   私は、長生きできて幸せだった」ー。


  そんな言葉を残した父の最後は、突然の心筋梗塞でした。
病院に着いた時には心肺停止状態で、そのまま帰らぬ人となりました。


  あっという間の死に際でしたが、通夜と葬儀の一部始終に付き添った
孫たちに囲まれて、「最後の仕事」 を果たした父は本望だったと思います。
しかし、もっと本望だったのは、納棺の際、母が叫んだ言葉でしょう。

 
  「生まれ変わったら、また一緒になろうね」




(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.11.19)したものです。但し、一部改変してあります。)



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  企業の社会的責任 (CSR = corporate social responsibility)
という言葉を、最近よく耳にします。


  しかし、意外に思われる方も多いでしょうが、CSRには世界共通の
明確な定義がありません。なぜなら、CSRは
 「持続可能な社会を目指すために、企業は利益を追求するだけでなく、
  社会に対しても責任を持つべきである」
という考えから生まれた概念だからです。


  したがって、どうすれば持続可能な社会になるかという点で、
CSRが目指す方向や手法には、世界の国や地域によって
違いがみられます。


  例えば、日本では 「社会貢献(環境保護、慈善事業など)」 と
「企業倫理(説明責任、法令遵守など)」 の二面性がありますが、
米国では 「企業倫理」 の側面が強いようです。


  実は、CSRは欧州で創られた言葉です。その原点は、
「社会的疎外に反対するビジネスのヨーロッパ宣言」(1996年)
であると言われています。ところが、その宣言の根本が
 「長期失業者、若年者、技能未熟者、身体障害者などの
  雇用促進」であったことは、意外にも知られていないのです。


  確かに、働く場があることは社会の基盤と言っても良いでしょう。
なぜなら、人は仕事を通じて自らの能力を活かし、喜びと労働対価を
得る。それによって充実した家庭生活をおくり、次の世代を
育てていける。だからこそ、持続可能な社会となるのですから。


  では、今の日本はどうでしょう。


  バブルがはじけて以降、名だたる企業は経費削減を名目に、
正社員を減らし、非正規雇用者を増やしました。米国の
サブプライムローンに端を発した大不況以後は、
非正規雇用者の解雇はもとより、新規採用も抑制し、
安い労働力を求めて海外進出が盛んです。


  しかし、地元の人材を育てるどころか使い捨てるような社会が、
果たして持続可能と言えるのでしょうか。


  「津波で家を流され、家族や仲間も失った。この上、
   仕事までなくなれば、誰もが地域を離れていく。
   だから私は、どんなに苦労してでも工場を再建し、
   無事だった社員全員の雇用を確保する」
これは、東日本大震災で工場が全壊した経営者の言葉です。


  「人の幸せは四つ。愛され、褒められ、役に立ち、
   必要とされること。少なくとも三つは、
   働くことで手に入るのですよ」
これは、障害者を数多く雇用してきた日本理科学工業の
大山泰弘会長が、禅寺の僧侶から教えられた言葉だそうです。


  私は、家庭や地域を担う人材を守り育てることこそ、
CSRの根本だと思います。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.10.15)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

  中学3年生の夏休み、恩師から出された課題研究は、新渡戸稲造の
『武士道』(岩波文庫) の内容をまとめることでした。


  今にして思えば、中学生には難解な作品でした。それでも私は、
新渡戸が説く日本人特有の心情が既に自分にも身についていることに
気づかされ、嬉しく思ったことを記憶しています。


  ご存知のように、新渡戸は大学教授、貴族院議員、
国際連盟事務次長などを歴任し、国際的にも高く評価された
最初の日本人と言えるでしょう。また、かつての五千円札に、
彼の肖像が使われていたことでも有名です。


  その彼の手による 『武士道』 は、まだ日本が未開の国と
欧米から思われていた明治の時代、37歳という若さで、
しかも流麗で説得力のある英文で書かれたものでした。
やがて各国語に訳され、世界のベストセラーになったのです。


  数年前のことですが、ある勉強会で、その 『武士道』 の初版を
英文のまま読み直す機会がありました。内容の素晴らしさも
さることながら、あらためて感銘を受けたのは、新渡戸の
博識と洞察の深さです。


  実際、古代ギリシャの時代から近代に至るまで、世界各国の
政治・経済・宗教・法学・哲学・文芸等に関する、彼の豊富で深い
知識と理解に驚かない人はいないでしょう。もちろん、その上で
日本の歴史や伝統文化、精神性の優位を説いた彼の洞察力には、
本当に頭が下がります。 


  「偉い人より、立派な人になりなさい」


  これは、中学時代の恩師の口癖でした。恐らく恩師は、
『武士道』 の内容をまとめる作業を通して、我々生徒に
「立派」 の意味を考えさせたかったのだと思います。
実際、私にとって 「立派」 というのは、
「誠実、責任、信頼、正義、やさしさ、勇気、礼節、いたわり、誇り」 であり、
どれも 『武士道』 の中に出てくる言葉なのです。
 

  東日本大震災では、被災者の節度ある冷静な行動や態度が
世界中から賞讃されました。それこそ日本の一般庶民には、
『武士道』 の立派な心が受け継がれていたのです。


  だとしたら、今の日本に必要なのは、新渡戸ほどの博学多才では
ないにしても、武士道精神に満ちた立派なリーダーではないでしょうか?


  もちろん、外国要人を前にして、メモを読み上げて会話するような
首相では困ります。「中止を了解してくれるまで、何度でも足を運ぶ」 と
約束しながら、その後は一度も出向かないような大臣でも困るのです。


  震災復興を担う日本のリーダーとなる偉い人は、今度こそ
立派な人であって欲しいと願わずにはいられません。

 
(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.9.3)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

  素直で従順だった子どもでも、中学生あるいは
高校生の頃から親の言うことを聞かなくなります。


  人生を苦労しながら長く生きてきた親にすれば、
子どもが困難な状況に直面しても、
「こうすればいい、ああした方がいい、それでは回り道だ」 など、
より良い判断はできるものです。


  例えば、成功する確率が高くて賢い方法、大きな失敗をしないで
すむ地道で無難な方法、多少の苦労や面子よりも結果を出すことに
重きを置いた方法など、それなりの智恵を親なら持っています。


  ところが自我が芽生えた子どもは、そんな大人の智恵など
簡単には受け入れてくれません。思春期なのですから、それは当然です。


  そもそも若者の特権は、多少の失敗は若さゆえに許されること。
しかも残された時間が長いがゆえに、幾らでも挽回が可能なことでしょう。
すなわち、希望さえ失わなければ、若者には無限の可能性があるのです。


  それどころか、周囲からは無謀に見えたことでも、若者は時として
大成功してしまう場合だってあります。例えば、中国の三国志に出てくる
劉備玄徳。日本なら、時代を大きく動かした脱藩浪士の坂本龍馬などが、
その良い例でしょう。


  我が家の長男は、せっかく入った公立高校を中退し、
色々と悩んだ末にアメリカの高校へ入学し直しました。
  次男は中学時代、成績はトップクラスで生徒会長までやっていたのに、
1年以上、病気で時々しか学校に通えなくなりました。
  三男は高校時代、部活動の指導や方針に反発し、自暴自棄のような
一時期がありました。


  彼らにとっては、辛い毎日だったでしょう。親にしても、苦悩や我慢の
連続でした。それでも彼らを支え、励まし、信頼し、周囲の理解や協力も
いただきながら、そうした時期を乗り越えることができました。


  そういう時、息子達や妻に、そして私自身にも言い聞かせてきた言葉が、
「今が全てではない。今日で一生が決まるわけでもない。時がたてば、
 今の辛い気持ちや困難な状況だって必ず変わる。しかも
 親がついているのだから、絶対に大丈夫」―。


  幸いなことに息子達3人は、多少の紆余曲折はありながらも希望を失わず、
志を持ち続け、自らが目指した道を歩んでいます。今では、もちろん
劉備や龍馬には遠く及びませんが、こんな父や母にはもったいないほどの、
立派で自慢の若者に成長してくれました。


  最後に―。
携帯メールによる入試不正事件の少年は、不処分となりました。
大丈夫! 挽回できます。可能性も無限ですよ。

 
(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.7.23)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  今から30数年前、中村雅俊の 「ふれあい」 という歌が大ヒットしました。
以来、「ふれあいコンサート」 や 「ふれあいの家」 など、
「ふれあい」 という言葉が時代のキーワードになりました。


  10数年前からは、「かかわり」 という言葉が新たなキーワードとして
使われています。地域と学校との 「かかわり」 など、特に教育現場で
目にすることが多く、平成16年にスタートした山形県の第5次教育振興計画の
スローガンも、「いのち」 そして 「まなび」 と 「かかわり」 ―でした。


  一方、ここ数年は 「連携」、「協同」、「共育」 などの言葉をよく耳にします。
演歌でもヒップホップでも、最近の流行歌のテーマは 「仲間」 や 「家族」 が
多くなりました。小中学校のクラスや生徒会、さらには運動会のスローガンにも、
「絆」 や 「連帯」 という言葉が多く使われています。


  これらの言葉が意味するものは、「ふれあい」 や 「かかわり」 ではありません。
言うまでもなく、「つながり」 です。


  中学時代の恩師は、「大切なのは、手法ではなく目的だ」 が口癖でした。
すなわち、大切なのは 「伝える」 ではなく、「伝わること」 だ。
「謝る」 ではなく、「許してもらうこと」 だ。
「ふれあい」 や 「かかわり」 でなく、「つながること」 だ―と。


  恩師は、「伝えた、謝った、ふれあった、かかわった」 で満足しがちの
我々生徒を、常に強く戒めてくれたのです。
  おかげで医師となった今でも、
「手を尽くして治療するのは手法であって、治ることが目的だ」 という意識で
仕事をしています。


  そういう意味では、恩師は人生で大切なことを 「教えた」 ではなく、
「身につけさせた」 のでしょう。
亡き恩師との心の 「つながり」 は、今でも私を律してくれているのです。


  さて、今回の東日本大震災では、誰もがこの 「つながり」 の大切さを
身にしみて感じていると思います。


  実際、被災地や被災者に対し、物心両面からの支援が続いています。
支援する誰もが、「一人じゃないよ」、「心ひとつに」、「支え合って」、「絆を」 と
いう気持でしょう。
  被災者にしても、そういう 「つながり」 を実感できるからこそ、
「頑張ろう」 とか 「負けない」 という強い気持が持てるのだと思います。


  被災地を慰問され、被災者を励ましてくださっている天皇陛下は、
今年、新年を迎えるにあたって次のように述べられました。


「家族や社会の絆を大切にし、国民皆が支え合っていくことを願う」


  まさに今、時代のキーワードは「つながり」だと思います。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.6.18)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  息子達が三人とも小学生だった頃、家族全員が居間に
集まっていた時のことです。テレビのニュースで、
「小4の我が子を殺害した母親」 の事件が報道されました。
事件の概要は、次のようなものでした。


  「夫が食道癌の末期と告知され、医者から余命1年と宣告された。
   小学4年の一人息子は、父親の身体の具合が悪いことを気にかけ、
   不安と苛立ちから不登校になった。そんな息子を不憫に思った妻は、
   『一人で育てる自信がない。せめて一番幸せな時に死なせてやろう』 と
   決心した。そして夫が留守の夜、妻は寝息を立てる息子の首に、
   電気コードを力いっぱい巻き付けた。その後、自らも包丁で
   腹を刺したが、死に切れなかった」


  ニュースを見終わったあと、私は息子達に問いかけました。


  「この母親をどう思う?」


  すると彼らは、「人を殺すのは良くない」 とか 「子どもが可哀相だ」 とか、
それぞれが年齢相応の感想を述べてくれました。
その一つ一つにうなずいたあと、私は次のように語りかけたのです。


  「お父さんもいつかは死ぬ。必ず死ぬんだよ。その時、この世に
   残せるものなんか何もない。でもね、私の血を、私の思いを継いだ
   子どもがこの世に残る。それが親として死んでいく時の、
   たった一つの救いであり、希望なんだ。愛する者をおいて先に
   死ぬのは辛いし、くやしい。でも、子どもという救いと希望があるから
   死んでいけるんだ。それが、死んでいく時の 『親の気持ち』 なんだよ」


  そして私は、涙ながらに続けました。


 「ところが、ニュースに出てきた母親は、もうじき病気で死んでいく父親の、
  たった一つの救いで希望だった 『大切な息子』 を殺してしまった。
  ひどい母親だと思う。絶対に許せない」


  もちろん、その母親には多少は同情します。しかし、
そこまでの気持は息子達には話しませんでした。


  そして最後に、こう伝えました。


  「子どもは親より先に死んではいけない。親より先に死ぬのは
   最大の親不孝。そして、親の死に水をとることが最大の親孝行。
   つまり、子どもにとって一番大切な仕事は、親より長く生きること。
   お父さんも、お母さんも、それが君達三人に対する一番の望みだよ」


  親は誰しも子どもには立派になって欲しい、皆の役に立つ人間に
なって欲しいと願います。もちろん私も、そう願っています。

  
  しかし、親の本音は、


  「子どもは宝、子どもは希望、子どもは未来。
   せめて親より先に死なないで欲しい」―。


それだけは、折に触れ、我が子に伝えておくべきだと思います。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.5.14)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  それは今から20年ほど前、当時まだ4歳だった長男を連れて、
実家の千葉から山形に戻る途中の出来事でした。
私たちは、東京駅の構内で、白杖をついて歩く視覚障害者に出逢ったのです。


  「どこまで行かれるのですか?」 と尋ねたところ、孫の見舞いに
新宿まで行きたいとか―。
  私は自分の肩につかまってもらい、一緒にゆっくり歩きながら、
中央線のホームまで連れて行きました。


  「誰か、新宿まで行く人はいませんか?」―。


  私の大声に周囲の誰もが振り向く中、状況を察した一人の若者が
手を挙げました。事情を話すと、彼は新宿の病院まで案内すると
言ってくれました。

  予定していた列車に乗り遅れた私たちは、駅の食堂で
ラーメンを食べました。
  「帰りが遅くなっちゃったね」 と私が謝ると、長男は
「山に花が咲いたよ」 と笑顔で言うのです。そして、
絵本 「花さき山」(斎藤隆介・作、滝平二郎・絵、岩崎書店) の
内容を得意げに話してくれました。


  以来、この絵本を小学校で読み語る度に、
「良いことをすると花が咲く」 と教えてくれた長男の笑顔を、
私はいつも思い出すのです。


  今年の1月、全盲の視覚障害者が駅のホームから転落し、
電車にひかれて死亡するという事故が起きました。
その後、駅の視覚バリアフリーの観点から、
ホームドア (可動式ホーム柵) の普及が叫ばれるとともに、
ホームに敷かれた点字ブロックの取り換え工事が急速に進んでいます。


  ホームの点字ブロックは、平成14年に国土交通省が
JIS規格に沿ったガイドラインを定めたものの、それまでは
メーカーによって規格はバラバラでした。中には、突起の数が多くて、
靴で踏むと平らに感じてしまうものもあったそうです。もちろん、
それでは点字ブロックとして役には立ちません。関係者からの
指摘にもかかわらず、それらの多くは今まで放置されていたのです。


  それにしても、私は気になるのです。マスコミは、こうした取組の
必要性を叫ぶばかりで、なぜ 「手助けをしよう」 とか
「助けを求めよう」 という主張をしないのでしょう?
人と人との 「つながり」 を呼びかける運動も、マスコミの
大切な使命だと思うのです。


  そう―、白杖をついている視覚障害者を見かけたら、
誰もが声をかけましょう。そして、手を貸しましょう。
  もちろん視覚障害者も、「誰か、案内をお願いします」 と
大声をあげましょう。言葉が不自由なら、白杖を持ち上げ、
反対の手を振るだけでも良いでしょう。危険に満ちたホームや通りなら、
それだけで誰かが気がつき、声をかけてくれるはずです。
 
  
  私たち日本人の心には、「花さき山」 があるのです。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.3.5)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  古ぼけたアルバムにある小学校入学式の写真―、それには
右腕にギブスをはめた私が写っています。


  実は小学校の入学直前、私の右腕は、事故で重度の複雑骨折と神経損傷を負い、
数時間にわたる手術を受けました。その後も入院を余儀なくされた私は、
小学校の入学式に出ることはあきらめていたのです。


  その日、主治医の田中修先生は、いつもより一時間も早く回診にやってきました。
そして、「今日は入学式では?」 と尋ねるのです。


  私が黙って下を向いていると、先生は
「君の親に連絡してあげるから、すぐに出かける支度をしなさい」 と言い、
「小学校の入学式の写真は、一生の宝物だ」 とつぶやいたのです。


  私は、先生が運転する車に乗せられて自宅に戻りました。そして、
用意してあった服に着替え、再び先生の車で、母親と一緒に
小学校へ向かったのです。


  校門の前で降りた私は、一目散に教室へと走り出しました。
ふと後ろを振り向くと、来た道を戻っていく先生の車に向かって、
母はいつまでも深々とお辞儀をしているのです。私は
「早くしないと、遅れるよ」 と叫びたい衝動をこらえながら、
母の姿をじっと見つめていました。


  入学式を終え、病院へ戻った私の元に、婦長さんがやってきました。
婦長さんは、「入学式に間に合って良かったね」 と言って、
「でも、実は大変だったのよ」 と続けました。


  「田中先生は、病棟の回診も外来の診察も全部放り出したの。
   戻ってきたのは10時過ぎ。だから、患者さんにも院長先生にも
   謝っていたわ」。


  思わず 「怒られたんですか」 と私が尋ねると、婦長さんは微笑みながら
「もちろんよ。でもね、みんな笑っていたわ。田中先生なら許しましょうって」。


  聞くと田中先生は、小学校入学前から難病で入院していたそうです。
もちろん入学式には出られなかったし、8歳まで学校にも行けなかったとか。
婦長さんは、「先生の机には、宝物の写真が置いてあるの」 と言って、
私に一冊のアルバムを見せてくれました。


  「これが田中先生、これが若い頃の私、これが今の院長先生よ」―。


  それは、まだ子どもだった田中先生の退院を記念して、当時の病院中の
スタッフや患者さんと一緒に撮った集合写真でした。この病院に
二度と戻らなくて済むようにと、誰もが祈りながら撮ったそうです。


  最後に婦長さんは、「この写真を宝物にしながら、田中先生は
懸命に勉強して、医者になって戻ってきたのよ」 と、
涙ぐみながら教えてくれました。


  少年時代、「こういう人になりたい」 と思える大人に出会えることは、
何よりの幸せです。私が医師を志したのは、この時でした。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2011.1.15)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  最近、「価値観の多様化」 という言葉をよく耳にします。
「価値観が多様化してきた社会だからこそ、互いの価値観を
認め合うことが大切」 というような趣旨で使われています。


  しかし、本当に 『価値観』 は多様化してきたのでしょうか?
多様化してきたのは 『価値観』 ではなく、『好み』 や
『判断』 なのではないでしょうか?


  例えば、誠実を、責任を、正義を価値と思わない人はいないでしょう。
逆に不誠実を、無責任を、不正を価値と思う人もいないでしょう。
人を殺してもよいとか、他人の物を盗んでもよいとか、妻は夫に無断で
高額な買い物をしてもよいとか、そんなことを認め合おうと主張する人は
いないはずです。


  そもそも 『価値観』 というのは、「善悪・好悪などの価値を
判断するとき、その根幹をなす物事の見方」(広辞苑)であって、
誰もが 「大切である」 と初めから認め合っているものなのです。
  そういう意味では、「価値観の押し付け」 などということは
有り得ません。正しくは、「好みの押し付け」 とか 「判断の押し付け」
とか言うべきところでしょう。


  もちろん、『好み』 は自由です。当然、互いに認め合うべきだと思います。
ヒップホップだろうが、ロックだろうが、演歌だろうが、音楽の 『好み』 は
人それぞれで良いでしょう。少なくとも 『好み』 には、正しい・間違いと
いうのはないからです。そうは言っても、他人に迷惑をかけないという
『価値観』 に背くようでは困ります。例えば、夜中に大音響で音楽を聞くのは
近所迷惑だということです。


  『判断』 にしても、状況や立場、性格や智恵や経験によって
違ったものになるのは当然です。まさに多様な判断があるでしょうし、
しかも正しい 『判断』 は一つだけとは限りません。もちろん、結果を
見てからでないと、正しい判断だったかどうか分からないこともあるはずです。
例えば食堂の場合なら、予想していた以上に客が来て、準備していた食材では
足らなくなることだってあるでしょう。


  しかし、どんな 『判断』 であろうと、それは周囲の者から理解されるか、
共感されるか、許容されなければなりません。『判断』 を一任されていて、
結果に対して責任を負える立場ならともかく、少なくとも 『判断』 によって
多大な利害を伴う関係者に対しては、理解・共感・許容を得るために
説明・説得する義務があるはずです。もちろん、そういう義務を果たさずに、
互いの 『判断』 を無条件に認め合おうと言うようでは、あまりに世間知らずで
幼稚と笑われるでしょう。

 
  結果を見るまでもなく、明らかに間違った 『判断』 という場合もあります。
それは、『判断』 そのものが、皆から許容すらされない場合です。
例えば、皆から不誠実・無責任・不正と批判されるような 『判断』 では困ります。
『判断』 を一任されていて、結果に対して責任を負える立場であっても、
それは例外ではありません。


  ところが今、不誠実・無責任・不正な 『判断』 が横行しています。
不誠実な大臣答弁、無責任な耐震建築設計、不正な証拠偽造などは
言うに及びません。保育施設の拡充や子ども手当てなど、親ばかりが
大事にされる少子化対策も、私は不誠実で無責任だと思います。
だいいち、「産めよ・増やせよ」 と言っておきながら、就職できない
若者が多いのでは話になりません。しかも、引きこもりやニートの数は
年々増えているのです。

 
  誰にとっても共通で普遍のはずの 『価値観』 が多様化しては、社会は
成り立ちません。まして見失ったり、忘れたりしてはならないのです。


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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  山形県に移り住んで、三十年が過ぎました。その私が山形に来て
最初に感激したのは、米が美味しいということです。
しかも、そう思った場所は山形大学の学生食堂でした。


  それまでの私は、昼食と言えば、早稲田大学の文学部キャンパスにある
学生食堂がもっぱらでした。同じ学生食堂なのに、山大で食べた米は
格段に美味しかったのです。


  それを聞いた山形在住の友人は大笑いして、私を自宅の夕食に
招いてくれました。山大の学生食堂で食べた米よりさらに美味しくて、
感謝感激したことは言うまでもありません。


  もちろん水や酒、林檎に葡萄に西瓜にサクランボ、そして
蕎麦と茸と山菜の数々―、どれも都会で口にしていた味とは大違い。
「本当は、こんなに美味しいものだったんだ」 と心から驚かされました。
まさに、「食の山形」 です。


  そんな私が山形美人に惚れてしまい、そのまま嫁にもらったのも、
当然の成り行きだったように思います。今では実家の墓も山形に移し、
私はこの地に永住することになったのです。


  山形の自然風土―。それは壮大で美しく、凛として厳しくも温かく、
恵みと慈愛に満ちています。例えば、
見上げれば太陽と広い空があるのです。
見渡せば高く連なる山々があるのです。
田んぼに畑、森に林、そして穏やかな街並みもあります。
冬になれば雪が降り、万物が厳寒を耐え抜きます。
春になれば草木が芽吹き、花が一斉に咲き始めます。
しかも、雪解け水をたたえて流れる母なる大河―、最上川があるのです。


  山形の子ども達は、こんなに素晴らしい所で育っています。
ところが、かわいそうに都会の子ども達は、この百分の一、
いや千分の一すら知りません。


  山形の県民性―。それは温厚で慎み深く、
真面目で誠実なところだと思います。
古くからの歴史と伝統、風習や文化芸能を重んじます。
何より、子どもを大切に育てます。
「子どもは宝、子どもは希望、子どもは未来」 と、
誰もが無意識のうちに思っているかのようです。
しかも子どもに望んでいるのは、偉い人になることではなく、
自立して生きていける人になることです。
山形の子ども達は、本当に幸せだと思います。


  山形県立寒河江工業高校の前校長・佐藤啓氏は、
「地元に生まれ、地元に育ち、地元の学校を出て、
 地元に職を得て、そこで結婚をして子孫を残す。
 そのような生き方が自然であり、素晴らしい人生。
 そして、家族団欒こそが価値観の最高峰」 と述べています。


  素晴らしい山形県が地元である者にとって、
それは心から共感する言葉でしょう。
私は、山形県が大好きです。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.11.13)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  『命の教育』 という言葉をよく耳にします。その目標は、子ども達に
「自分で自分を価値ある大切な存在と思える気持ち(自尊感情)」、
「他の生命や存在を大切に思う気持ち」、そして
「健やかな身体」 の三つを育てることでしょう。


  そのために、学校や地域での様々な交流や野外体験、
動植物の飼育体験、読書活動、スポーツ活動、食育、性教育、
飲酒・喫煙・薬物乱用防止などのプログラムが組まれています。


  確かに 『命の教育』 は大切ですし、そのプログラムも
良くできていると思います。でも何かが足らない―、そう感じている人は
少なくないはずです。なぜなら、自尊感情が低い子どもは、
各種調査でも依然として多いままだからです。


  「少子化対策」 とか 「子育て支援」 などの言葉を、我々大人は
当たり前のように使っています。子ども手当、乳幼児の医療費無料化、
保育施設の拡充、職場保育の整備、子ども一時預かりなど、
これらの言葉も新聞・テレビで目や耳にしない日はありません
それらと関連して、最近では 「社会における女性の自己実現」 とか
「男女共同参画社会の実現」 など、耳触りの良い言葉も見聞きします。


  もちろん私は、こうした世の中の流れを否定するつもりはありません。
これからの高齢化社会を支えるためにも、子どもは社会の宝であり、
女性の就労や社会進出が益々必要だということは分かります。
それだけに、子どもを産み育てやすい環境や、社会で子どもを
育てる仕組みが大切だという主張も、まさに正論だと思います。


  しかし、それらはどれも大人の視点からみた、大人のための
国の在り方ではないのでしょうか? つまり、
「子どもが立派に育つために」 とか 「子どもは親が一番だから」 とか、
そうした子どもの視点からみた国の在り方ではないということです。


  胸に手を当てて考えてみましょう。


  価値としての優先順位は、お金や仕事、社会よりも、むしろ夫婦や家族、
子ども達の方が上位なのではありませんか?
  夫婦の仲が良いこと、家族が楽しく暮らせること、子ども達が立派に
成長してくれること―。それらが人生にとって何よりの喜びであり、
最高の価値なのではありませんか?


  学校が 『命の教育』 に力を入れているのに、それが子ども達の
自尊感情の向上に結びつかない理由の一つは、子どもの視点から
物事を考えようとしない、しかも価値としての優先順位まで
見誤っているかのような、今の日本の風潮のせいではないのでしょうか。


 仲の良い夫婦、楽しい家族、「子どもは親が一番」 なら
「親だって子どもが一番」―、この三つが 『命の教育』 の出発点だと
私は思います。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.10.2)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  「みんなちがって、みんないい」 という言葉をよく耳にします。
これは金子みすゞの有名な詩 『わたしと小鳥とすずと』 の一節ですが、
私は言葉だけが一人歩きしているような気がしてなりません。
というのは、「互いの違いを受け入れ、認め合おう」 という意味で
使われているからです。


  しかし、そもそも他人同士なら違いがあるのは当然です。
受け入れるも受け入れないも、認めるも認めないもないのです。
だいいち、「当然であること」 を受け入れようとか、認め合おうとか
主張すること自体、不気味で滑稽(こっけい) な話でしょう。


  では、みすゞの詩はどう理解すれば良いのでしょう。それには、
「違い」 の中身を考えなければなりません。


  すなわち、みすゞの詩には
「小鳥は空を飛べる/(飛べない)私は速く走れる」―。
「鈴はきれいな音で鳴る/(きれいな音は出ない)私は歌をたくさん知っている」―。
だからこそ、「みんなちがって、みんないい」 と書かれているのです。


  要するに、「私と小鳥と鈴には、それぞれ不得意なこともあるけれど、
お互い真似のできない素晴らしい得意なものがある。だからこそ、
みんな大切なんだね」 が、詩の意味するところではないでしょうか。


  世の中には、不得意どころか、どうしようもない辛(つら)さや
困難を背負って生きている人もいます。
絵本『どんなかんじかなあ』(中山千夏/文、和田誠/絵、自由国民社) には、
そんな子ども達の姿が描かれています。

  
  例えば、目が不自由でも、色々な音を注意深く聴いている子ども―。
耳が不自由でも、色々な物を注意深く見ている子ども―。
手足や身体が動かなくても、色々なことを深く考えている子ども―。
そして、両親がいなくても、気丈で思いやりのある子ども―。


  そういう子ども達を前にして、「みんなちがって、みんないいんだよ」 とか
「違いを受け入れ、認め合おう」 とは、私には言えません。むしろ、
「皆とは違う辛さや困難があっても、君はこんなに素晴らしいものを持っている。
 だからこそ、君を心から大切に思う」 と、私だったら言うでしょう。


  人は誰しも、素晴らしいものを持っているのです。それに気づいてくれて、
分かってくれて、大切に思うと言ってくれる家族や仲間がいればこそ、
人は生きていけるのではないでしょうか。


  みすゞの詩集にあるのは、小さき者や弱き者の素晴らしさに気づき、
だからこそ大切に思うという共感の詩ばかりです。それらは、世間から
認められないまま失意の中で命を絶った、金子みすゞ本人の心の叫びのように
思えてなりません。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.8.21)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  現代の食生活は、子どもたちの心身の成長にとって
大きな問題があると言われています。


  具体的には、高カロリーで動物性脂肪に富むカレーやハンバーグ、
焼き肉が食生活の中心で、緑黄色野菜や魚類、海藻類、豆類など、
食物繊維やビタミン・ミネラルの摂取が不足している―。
ジュースや清涼飲料水、スナック菓子などの間食が多い―。
家族一緒に食事をとる機会が少なく、小中学生の約1割は、
朝食抜きで登校している―。


  このような食生活のせいで 「憂鬱、無気力、イライラ、キレル」
という子どもが増えていることは、既に多くの調査結果から
明らかにされています。


  こうした現状から、最近では 『食育教育』 が重視されるように
なりました。現在、学校には栄養教諭が配置され、児童生徒に
食品の栄養知識や、「主食・主菜・副菜・汁物」 から成る食生活の
大切さを教えています。さらに、食事はコミュニケーションの場であり、
心の安定や絆を育む場でもあることを教えているのです。


  「親になるということは、食べ物のことを良く知っているということだ」―。


  これは、私が小学4年生の時の担任教師の口癖です。50歳位の
女性でしたが、毎日の給食の時間、「いただきます」 の前の1分間、
その日の食材を一つ取り上げ、色々な話をしてくださいました。


  例えば 『キャベツ』 だったら、それは根なのか、茎なのか、
実なのか、葉っぱなのか、花なのか―。いつ頃とれるのか、
どこの県で多くとれるのか―。身体の中に入るとどういう力になるのか―。


  『豆』 だったら、「豆は畑の牛肉というくらい、身体のエネルギーに
なるんだよ。豆腐もみそも、豆から作るんだ。だから、豆腐のみそ汁は
ものすごくエネルギーがあるんだよ。徳川家康という殿様は、
焼き味噌を家来に持たせて戦ったんだ。だから強かったんだね」
というように―。


  他にも、お百姓さんの気持ち、遠洋漁業の苦労、
同じ釜の飯を食うことの意味など、それこそ食育の話から
生物、地理、歴史、道徳、ことわざに至るまで、
実に様々な話をしてくださいました。


  栄養教諭はおろか、食育教育という言葉すらなかった
40年以上前のことですが、私たち児童は、給食前の毎日1分、
『親になるための食育教育』 を徹底的に受けたのです。


  食べ物の知識を身につけることができたのも、家族の基本は
食生活であると知ったのも、そして少しは親らしい親になれたのも、
この先生のおかげです。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.7.10)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  山形県教育庁から、「自尊感情が育つ学級・学校」 という冊子を
いただきました。それには、『6つの自分』 の大切さが書かれています。


  『6つの自分』 とは、「愛されている自分/認められている自分/
良いところを自覚できる自分/目標に向かって頑張っている自分/
友だちと心が通じ合っている自分/みんなの役に立っている自分」 です。


  言うまでもなく、この 『6つの自分』 は子どもの世界に限ったものでは
ありません。むしろ大人の世界で大切だからこそ、その芽を子どもの
うちから育んでいく必要があるのでしょう。


  子どもは、やがて大人になります。そして会社に入る、あるいは
野球選手に、教師に、医師になる人もいるでしょう。その時、
「周囲から愛されない/誰からも認めてもらえない/
 自分に良いところがない/目標に向かって頑張れない/
 仲間と心が通じ合わない/みんなの役に立っていない」―。
 そんな大人だったら、どれほど悲しいことでしょう。


  ある中学校のクラスで、
「あなたは、この 『6つの自分』 に当てはまりますか?」 という
無記名の調査をしたそうです。
  担任教師は、「○」 の数が少ないのは覚悟していたそうですが、
「△」 よりも 「×」 の多いことがショックだったと言います。
もちろん、卒業時にはクラス全員が 『6つの自分』 すべてに
「○」 をつける―、そういう学級運営を心に誓ったそうです。


  いずれにしても、最近の子ども達の自尊感情の低さは深刻です。
日本青少年研究所の調査(2008年) によれば、
「自分は駄目な人間だと思いますか?」 という問いに対し、
「とてもそう思う」 と回答した中学生は約20%、
「まあそう思う」 という回答は約35%という結果なのです。


  県教育庁の冊子には、自尊感情について
「自分で自分を価値あるものとする感情」 と書かれています。
  その場合の価値とは、自分という存在が世界に唯一つの
「オンリーワン」 だからではないはずです。そんな当たり前のことは
価値ではないことくらい、前述の調査結果が示すように、
子ども達は見抜いているのです。


  人としての価値とは、なんと言っても
「誠実・責任・信頼・正義・やさしさ・勇気」 でしょう。言い換えれば、
心が強く美しいことでしょう。
  そういう自分であることが自らの支えとなり、かつ
周囲から評価されて自信となる―、それが 『6つの自分』 の
真髄ではないでしょうか。


  この 『6つの自分』 が、仲間との、そして親や教師との日々の
関わりの中で、子ども達の心に育まれていくことを期待します。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.5.22)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  乳幼児の虐待事件をニュースで知る度に、家庭内で絵本の読み語りを
いっぱいしていれば、そんな事件は起きなかったのではと心が痛みます。


  私の住む寒河江市でブックスタート事業が始まって、1年が過ぎました。
これは3カ月健康診断の際、保護者に家庭での絵本読み語りを勧める運動です。


  具体的には健診終了後に、「赤ちゃん向けの絵本2冊」、
「赤ちゃんと絵本を楽しむ際のアドバイス集」、「市立図書館の案内」、
「子育てに役立つ資料」 などをオリジナルの袋に入れてプレゼントします。
その上で、絵本に詳しい専門スタッフが、赤ちゃんと絵本の時間を持つことの
楽しさや大切さについて説明します。


  もちろん絵本に関心がなかったり、その効用を知らない保護者も
少なくありません。「3カ月の赤ちゃんには早いのでは?」 と
心配する人もいるようです。


  ところが、会場で実際に絵本の読み語りを始めると、赤ちゃんは
目をキラキラと輝かせ、嬉しそうな仕草で応えてくれるのです。


  よく誤解されるのですが、ブックスタートは絵本の内容(ストーリー)を
楽しむための第一歩ではありません。絵本を通して、温かくて楽しい時間を
親子が共有し合うことが目的です。


  絵本には、色彩豊かな絵とリズム感のある言葉があふれています。
それだけに、絵本は親が赤ちゃんに優しい言葉で語りかけ、心を通わせる
ひとときを、ごく自然に作り出すことができるツールなのです。

 
  しかも数多くの研究から、こうした乳児期からの温かい親子関係は、
子どもの心の発育はもちろん、親の心の安定にも良い影響を及ぼすことが
明らかになっています。


  ブックスタートは1992年に英国で始まり、日本では平成12年から
全国各地に広がりました。


  多くの場合、図書館、保健センター、子育て支援センターや
ボランティアなどが協力し合い、赤ちゃんの幸せを願いながら実施されて
います。時には高校生や大学生も参加し、赤ちゃんと触れあう体験も
しています。また、保護者同士が知り合うなど、絵本を通した仲間作りにも
役立っています。まさに、地域みんなで子育てを応援する活動でもあるのです。


  NPO法人ブックスタートの調査では、平成21年末現在、
全国では4割以上の市区町村で実施されているのに対し、
山形県では35市町村のうち寒河江市、河北町、大江町、西川町など
7市町村に過ぎません。

  
  「子育てするなら山形県」 と謳っているのです。赤ちゃんと心通わせ、
親子の 「共育」 とも言えるブックスタートが、県内の全市町村に
広がることを祈ってやみません。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.4.10)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?



テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  我が国の子どもの平均睡眠時間は、どの年代でも、他の先進諸国と
比べて1~2時間は少ないそうです。さらに小中学生の約1割は、
朝食をとらずに登校していると言われています。


  こうした睡眠不足や食生活の乱れは、子どもの学力、運動能力、そして
人間形成にも悪影響を及ぼすことが、既に多くの報告から明らかです。
だからこそ、どこの小学校も 「早寝、早起き、朝ご飯」 運動をしているのだと
思います。


  しかし、それは学校が取り組むことではなく、家庭の役割ではないかと
主張する人もいるでしょう。


  ところが現実には、親は共働きが多く、子どもは塾やスポ少、ゲームなどで
忙しく、家族の生活リズム自体がバラバラだったりするのです。


  我が家の場合は、父親の私に問題がありました。仕事がら出勤や帰宅時間の
不規則な私が、家族の生活リズムを乱していたのです。


  そこで妻と相談して決めたのが、「親の心がけ四カ条」 でした。


  すなわち、子ども達と一緒に 「食事をする/お風呂に入る/トランプをする/
就寝時には絵本を読んで添い寝をする」―。
この四つを夫婦で協力・分担しながら、息子達が小学校を卒業するまで、
できるだけ実践するというものです。


  そうは言っても、一緒に食事については、今でも妻に頭が上がりません。
一緒にお風呂は、私なりに頑張ったつもりです。


  トランプは、もっぱら 「大貧民(大富豪ともいいます)」 でした。
ルールは簡単だし、勝敗は実力だけでなく、運も大きく左右します。
実際、当時4歳だった三男でも、大富豪に昇格することがありました。
テレビを消しての30分間、悲喜こもごもの勝ち負けに、誰もが
言いたい放題の和気あいあい―。まさに、家族団欒の時間です。


  子ども達の就寝時間は、夜9時でした。夫婦のどちらかが、寝室で子ども達に
絵本の読み語りをしてあげる。それが終わったら少しの間、そのまま
添い寝をしてあげる。それが、夫婦の日課でした。


  我が家では、そうやって子ども達の生活リズムを保ちながら、
親子が仲良く言葉を交わし、共感し合える時間を大切にしてきたのです。


  私は、親にしか子どもに渡してあげられない 「最高の宝物」 が
三つあると思っています。それは栄養に満ちた食事、規則正しい生活リズム、そして
仲の良いことの心地良さです。


  小さな頃から仲の良いことの心地良さを実感しながら育った子どもは、
弱い者を常にいたわり、決していじめたりはしない―。
嬉しいことに、それを息子達は証明してくれました。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.2.27)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?



テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  少子化対策という言葉を耳にすると、誰もが
保育施設拡充や子ども手当のことを思い浮かべるでしょう。


  確かに国の社会福祉政策は、これまで高齢者に向けられた物が
大半でした。それだけに今後、子育てに関する予算が増えることは
私も歓迎です。高齢者を支える若い世代が減れば、
国が立ちゆかなくなるのは当然だからです。そういう意味では、
「子どもを育てやすい社会」 は、少子化対策の大きな柱と言えるでしょう。


  しかし、もう一つ忘れてはならない柱があります。それは、
「少ない子どもを立派に育てる」 という柱です。


  3年ほど前、時の官房副長官が
「保育所への入所待機児童解消策もいいが、母親が働かなくとも
子育てに専念できる政策を」 と主張されました。


それに対して与野党を問わず、大臣も含めた多くの女性議員から
  「少子化対策や男女共同参画社会に逆行する」、
  「女性は家に閉じこもっていろというのは時代錯誤だ」、
  「社会における女性の自己実現を否定する発言だ」
など、非難の声が数多く出たそうです。


  それらの記事を読んでいて、私はこの国の将来が不安になりました。
「親の視点」 ばかりが優先され、「子どもの視点」 が抜け落ちては
いないでしょうか? 子育ては 「大変」 ばかりが強調され、
「大切」 が忘れられてはいないでしょうか?


  新生児期から乳幼児期にかけての母子関係や家族団欒のありようが、
子どもの心の発育に大きな影響を及ぼすことは
既に数多くのエビデンスから明らかです。


  だとしたら、子どもが小さいうちは母親が一緒にいられる経済的支援、
その後の職場復帰支援、健やかな母子関係や家族関係を育むための
地域や行政からの支援、授業参観やPTA事業に対する休暇制度の充実や
企業の理解なども、合わせて推進すべき少子化対策なのではないでしょうか?

  
  「仕事は “やりがい” があった。子育ては “生きがい” だった」 と、
両親がともに言える世の中を目指して欲しいと思うのです。


  児童養護施設の寒河江学園が発行している 「若あゆ(123号)」 に、
都合で迎えに来られないと知らされても、外で親をじっと待ち続ける
子どものことが記されていました。
  それは、その道30数年のベテラン指導員が書かれた文章です。
その結びを読んで、私は胸が熱くなりました。


  「子育ては、この世で一番すばらしい大切な仕事。苦楽を共にできる
   子育てパワーが、人間社会の幸せの源だと思えてなりません。
   “親が一番”―、 子ども達は待っています」


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2010.1.16)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  「百人の優秀な教師も、良き親一人にかなわない」―。
これは、ある講演会で聞いた言葉です。家庭教育の大切さを示した、
実に説得力のある言葉です。

  
  なるほど、我が子を誰よりも慈しみ、かつ養い育て
守っているのは親でしょう。我が子から、誰よりも信頼されているのも
親でしょう。教師といえども、その足元にも及びません。
そういう意味では、子どもの人生にとって親が 『百や千』 なら、
教師は 『十』 が精々なのかも知れません。


  しかし、教師のその 『十』 というのは、親兄弟にも友人にも
成し得ない 『十』 であり、時には子どもにとって絶対に必要な
『十』 であり、しばしば人生を決定づける 『十』 であることを、
我々大人は (何よりも教師自身が) 知らなければなりません。


  そういう意味では、その 『十』 については、
「百人の良き親も、優秀な教師一人にかなわない」 のではないでしょうか。


  私が今日あるのは、もちろん父母のお陰です。しかし、
「あの先生がいなかったら、今の私はありえない」 という恩師が
少なからずいることも確かです。尊敬と感謝に値する恩師に
出会えたことは、私にとって 「人生の財産」 となっています。


  学校教育で大切なことは色々あるでしょうが、
最も大切なことは 『教師の力』 だと思います。それは、
教師自身の 「教育への真摯な情熱と卓越した能力」、そして
「子ども達への深い愛情」 に他なりません。


  言い換えれば、信念と責任を持って、きちんと誠実に指導できる
教師でしょう。時には人生や生き方を語り、その手本を自ら示してくれる
教師でしょう。そして子どもに寄り添いながら、子どもの
「心と身体と学力」 の成長を、我がことのように喜ぶ教師でしょう。


  だからこそ教師は、『教師の力』 を自覚し磨き、かつ発揮しなければ
ならない。親と地域と行政は、教師が力を発揮できるよう、
ひたすら応援し、助けなければならない。子どもが学校に通うとは、
そういうことだと私は思うのです。


  「教師は、子どもの教育に対する支援者に過ぎません」 と、
私に言った校長先生がいました。謙遜の意味をこめて言ったのは
承知しているのですが、私は思わず次のように反論しました。

  
  「学校に来て、絵本読み語りをしている私達こそ支援者です。
   でも、教師は違いますよ。なぜなら、支援者に過ぎない教師を、
   いつの日か 『恩師』 と呼ぶ者などいません」―。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2009.11.14)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:教師のお仕事 - ジャンル:学校・教育

  私が高校生だった頃、同級生が病気で亡くなりました。
さらに社会に出て間もない頃、大学時代に同じ寮で共に学んだ
親友が交通事故で死にました。二人の通夜の席で見た、
気も狂わんばかりに嘆き悲しむ両親の姿を、私は今でも忘れられません。


  親なら誰もが、「子どもには立派な人になって欲しい、幸せに
なって欲しい」 と口にします。しかし、心の中では
「生きていてくれさえすれば、それでいい。せめて親より先に死ぬな」―。
私は若い二人の通夜を通して、それが親の本当の願いだと教わったのです。


  そして自分が親になった今、それは確信となっています。息子達には
「親より先に死ぬのは最大の親不孝」 と、ことある毎に伝えてきました。


  さらに小中学校から授業や講演を依頼されても、「この世に生まれた時、
周りの人が笑顔になる。それが、君達の生まれてきた最高の価値。
そして二番目の価値は、親の死に水をとることだよ」 と、児童生徒に
語り続けてきました。


  ある時、私の診療所に通院している “おばあちゃん” が、
次のような話をしてくれました。

  「私の息子は親不孝だ。40代という若さで亡くなって、死に水を
   親の私にとらせたんだ。おかげで孫は元気がなくなって、
   中学時代はほとんど不登校だった。せっかく入った高校も、
   数ヵ月で行けなくなって中退した」
と言うのです。そして、
  「でも霞城学園に入り直してからは、毎日、学校へ行ってくれた。
   大好きな先生がいるからと言ってね。私は、孫が元気に学校へ
   行ってくれるだけで有り難いと思ったよ。だから、その先生と神様に
   感謝してるんだ。だって元気な孫は、希望だもの」
と、涙ながらに語ってくれました。

   
  この春、その県立霞城学園高校 (山形市) の教頭先生が病気で
亡くなりました。葬儀の席で悲嘆にくれる年老いた両親の姿に、
私は慰めの言葉も見つかりませんでした。


  その帰り際、私にそっと声をかけてきた人がいました。なんと、
その “おばあちゃん” です。孫が付き添っていたので、私はピンときました。
孫が話していた霞城学園の大好きな先生とは、その教頭先生だったのです。


  両親より先に死んだ教頭先生は、本当に親不孝です。
でも先生は、希望を残されましたね。
きっと、数えきれないくらいの希望を残されたのでしょうね―。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2009.9.12)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?
  小中学生の集まりで 「尊敬する人物は?」 と尋ねると、両親・教師・友人を
挙げる子どもが実に多いのです。その理由は、
「育ててくれているから」、
「やさしく話を聞いてくれたから」、
「困っていた時に手伝ってくれたから」―。


  両親を尊敬してくれるのは嬉しいのですが、自分に何かをしてくれたから
尊敬するというのでは、感謝と尊敬が一緒になってはいないでしょうか。
だとしたら、直接は自分に何もしてくれていない歴史上の偉人など、
子ども達の尊敬の対象にならないのも無理はありません。


  しかし、それで良いのでしょうか。むしろ、「あんなふうに生きたい」 と
思わせる人物こそ、私は子ども達の尊敬の対象であって欲しいと思うのです。


  私の中学時代、歴史を教えてくれた先生は、偉人の生涯を詳しく語って聞かせる
授業が得意でした。具体的には、諸葛亮孔明、石田三成、西郷隆盛などの人生に
ついて、彼らがどんな事件や人物に遭遇し、それらをどう考え、どう対処していったかを
延々と語る授業です。そして孔明に涙し、三成を讃え、西郷のように生きろと
言うのです。

  
  思えば、その先生のおかげで、吉川英治や司馬遼太郎などの歴史作家を
好きになったような気がします。そんな恩師の口癖が、まさに 「人を学ぶ」 でした。


  社会に出て三十有余年。
私は、それこそ数多くの素晴らしい人に出会いました。例えば、
明るく温厚で慎み深く、誠実で礼儀正しい人。
親切で感謝の心に満ち、誰からも慕われている人。
困っている者がいれば助け、弱い立場の者をいたわり、道に外れたことを嫌う人。
責任感が強く、情熱と志に燃え、皆のために労苦を厭(いと)わない人。


  そんな彼らの人柄や生き方に啓発され、恥ずかしくない自分でありたいと
我が身を律してきたからこそ、今の私があるような気がしてなりません。


  残念ながら少年時代は、そういう立派な人に出会う機会は少ないでしょう。
いや、出会っていても気がつかないかも知れません。


  だからこそ、子ども達には伝記をいっぱい読んで欲しいのです。
価値ある人柄や生き方に感動し、それらを心に刻みつけながら、
成長して欲しいと思います。


  子どもの頃から人を学ぶ喜びや大切さを知っていれば、社会に出てからも
自分を磨いていくでしょう。少なくとも、卑劣・不条理な行為に手を染めることは
ないでしょう。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2009.7.18)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  文部科学省の全国学力・学習状況調査によれば、
「自分には良いところがあると思いますか?」 という問いに対して
「当てはまる」 と回答した児童生徒は、2年連続、全国・山形県ともに
小学生は約30%、中学生は約20%に過ぎませんでした。


  さらに㈶日本青少年研究所による日米中韓4カ国の最近の調査では、
「自分は駄目な人間だと思いますか?」 という問いに対して
「とてもそう思う」 と回答した高校生は、米中韓の3国が3~8%程度だったのに対し、
日本は23%でした。「まあそう思う」 という回答まで含めると、
日本は65%で断トツの1位だったのです。


  子ども達にとって、自分が良いとか駄目とかの判断基準は
どういうものでしょう。
試験の成績? 運動能力? それとも人間性でしょうか?


  これまで日本は、「自分は世界に一人だけの“かけがえのない存在”」 を
スローガンに、子ども達の自尊感情や自己肯定感を高め
教育を目指してきました。しかし、調査結果を見る限り、成果は十分とは
言えないようです。


  考えてみれば、自分が世界に一人しかいないのは当たり前です。
それだけで “かけがえのない存在” と言われても、子ども達は
実感が湧かないのではないでしょうか。むしろ、自らを立派と誇れる気持が
芽生えるように導くことこそ、子ども達には大切なような気がします。


  例えば、失敗しても悔しさから立ち上がり、頑張って自分の役割を
最後まで果たす勇気と責任。小さき者や弱き者を守り支える正義と優しさ。
人に尽くし、決して裏切らない誠実と信頼。そして、卑劣を恥じる清い心。
それらを尊い価値として子ども達の心に伝え育み、良き手本を示すことが
我々大人の務めであり、子育ての基本であるように思うのです。


  ところが、現実はどうでしょう。人をちゃかして笑いころげるテレビ番組、
勝ち組・負け組と煽り騒ぐマスコミ、贈収賄や偽造表示販売に手を染める大人など、
悪い手本ばかりが目立ちます。


  「偉い人より、立派な人に」―。
これは、中学時代の恩師が卒業式の前日、最後の授業で語ってくれた言葉です。
すなわち、


 「ペーパー学力が優れていても、運動が得意でも、それだけでは立派とは
  言いません。地位や財力があっても、ずるくて人をだます者が立派なはずは
  ありません。立派というのは、心が強く美しいことを指す言葉です。
  偉い人になれとは言いません。立派な人になりなさい」


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2009.5.30)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  大学時代、私は麻雀の誘いを断ることができませんでした。
時には、授業をさぼっても付き合いました。もちろん、私が
優柔不断だったからではなく、麻雀が好きだったからです。


  別の理由もありました。麻雀は4人そろわないとできません。
私が誘いを断ると、残り3人は落胆します。要するに、私は必要とされると、
同情して応えてしまう性分だったのです。


  その性分は、実は今も変わりません。講演の依頼や委員の委嘱、
妻や息子、友人からの依頼など、なかなか断ることができません。
立場上あるいは能力上、期待には応えられないと判断したもの以外は、
結局は受けてしまうのです。


  私は息子たちにも、「必要とされれば、それに応えようとする人間で
あって欲しい」 と願っています。必要とされるうちが花ということもありますが、
応えて初めて学べることもあれば、それで得られる喜びもあるからです。
なにより、人を落胆させることを申し訳なく感じる人間であって欲しいからです。


  中学時代、普段は物静かなのに、急に騒ぎ出したり、てんかん発作を
起こしたりする生徒がクラスにいました。部活動も一緒で仲良しだった私は、
先生方からの指示もあり、教室では常に彼の隣の席に座りました。


  修学旅行が近づいたある日のこと、私は担任教師から呼ばれ、
「彼と2人だけで旅行班を組んで欲しい」 と言われました。
しかし、既に班編成は終わっており、旅行先での班別スケジュールも
決まっていました。しかも、彼は旅行に参加しないと聞いていたのです。


  「彼が修学旅行に行きたいと言ってきた。彼の親は私が説得する。
   私と君がいるから大丈夫だと言って」―。


先生は私の目を見つめながら、
  「君が断ると、彼は落胆する。彼には君が必要だ。そして君も、
   彼をクラスの一員として必要として欲しい」 と続け、
私に深々と頭を下げたのです。


  思わず 「僕もクラス全員で行きたいです」 と返答した私の脳裏には、
少し前の授業で学んだマザー・テレサの言葉が浮かびました。

  
  「この世で最大の不幸は、戦争や貧困ではありません。
   自分は誰からも必要とされていない―、そう感じることです」


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2009.4.11)したものです。但し、一部改変してあります。)



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出典・推薦図書: 大人は伝えているか?

テーマ:教師のお仕事 - ジャンル:学校・教育

  私は小学校時代、若い教師と馬が合いませんでした。


  3年生の時の担任教師は、20代前半の女性でした。
「そんな子は嫌いだ」 が口癖で、ひねくれ者の私は特に何度も言われました。
さすがに毎日が憂鬱で、成績も1と2ばかりでした。


  ところが、その先生は2学期から産休に入り、代わって40代の女性が
担任になりました。不思議なことに、この先生からは叱られた覚えがないのです。
毎日が面白くて、笑いが絶えないクラスに一変しました。もちろん授業も楽しくて、
成績は4と5だけになりました。


  成績の急上昇に驚いた両親は、先生に何かの間違いではと尋ねました。
すると先生は、 「末は博士か大臣か―、この子は楽しみですよ」
と言われたそうです。


  さすがに大臣は “見果てぬ夢” ですが、32歳で医学博士になりました。
予言の半分は的中したのです。


  4年生の時の担任は、20代後半の女性でした。
いつも不機嫌そうな顔をしていて、えこひいきが露骨な先生でした。
徹底的に反発していた私の成績は、再び1と2だけになりました。


  ところが2学期途中、父の仕事の都合で、私は別の学校に転校したのです。
転校先の担任は、50代の女性でした。怒った時は恐かったのですが、普段は
「嬉しいよ、立派だよ」が口癖の優しい先生でした。
3学期、成績は4と5だけになりました。


  私自身、息子三人を育て上げ、分かったことがあります。それは子どもなら
誰でも、「先生を好きになりたい光線」 と 「先生に好かれたい光線」 を
懸命に出しているということです。ところが、教師からの 「君は嫌いだ光線」 や、
「こうすれば君を好きになってやるよ光線」 を感じると、子どもは反発して
「先生なんか嫌いだ光線」 を出し、例外なく道に迷い始めるのです。


  私は、子どもに媚びろと言いたいのではありません。甘やかせとも言いません。
毅然とした、厳しい教師でも良いのです。それでも常に、「君が大好きだよ光線」 は
出すべきです。それは教師としての最低の責務であり、子どもとの間に絆を作る源です。
その絆で、子どもの意欲や性格、成績までもが左右されるのです。


  強い絆さえあれば立派に育つ―、それが子育ての基本だと私は思います。


(この文章は、小生が読売新聞山形県版に連載しているエッセイ
 「インク壺」 に掲載(2009.2.14)したものです。但し、一部改変してあります。)



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